こんにちは!れもんです。
私は都内の大学病院で管理栄養士として勤務しています。その経験を生かして、健康と家計を守るノウハウを詰め込んだブログをはじめました。2児(息子・娘)のママです!
周りからは順調に人生を進んできたように見えているようですが。
全っ然そんなことない!!
ジェットコースター並のアップダウン人生を歩んできました。
今回は、私の今までの道のりをお話すると共に、なぜブログを立ち上げることになったのか、これから何を目指しているのかをお話したいと思います。
ぜひお付き合いください。
初めての挫折と孤独
大手製薬会社で新薬治験の監査役として勤務していた父と、専業主婦の母の一人娘として育てられました。
毎日のルーティーンを崩さなかった父。毎日同じ時間の電車で往復し、帰りが少し遅い日はお土産にケーキを買ってくるとき。
そんな父を玄関先で母と毎日迎える。絵に書いたような幸せ家庭です。
それはそれは大切に育てられたのですが、それには思わぬ副作用が。
幼稚園や小学校では、みんなと同じことをやるように強制され(そのように感じた)、できなければダメな子扱い。
私はクラスのみんなの前で先生に吊るし上げられることもあり、今思い出してもゾッとする日々。
今まで否定されたことのなかった私は、人生で初めて大きな挫折と孤独を感じました。
ぜいたくなことなのかもしれませんが、子ども心に「生きづらさ」を感じたのでしょう。
次第に通学が億劫になり、母は私を送り出すたびに涙をこらえていたそうです。
お受験で人生が一気に好転
このまま地元の中学校に上がったら、つらい日々が場所を変えて続くだけ。
そう思った両親は中学受験を勧めてきました。
私も「みんなと同じ学校には行きたくない」と返事をして、小学4年から英語と進学塾に通いはじめました。
その結果、見事に某お嬢様学校(毎日「ごきげんよう」と挨拶する)に入学!
入学式翌日に、早くも人生を変える出来事が起こります。
内部生(併設小学校から上がってきた子)と外部生(公立から受験してきた子)で、それぞれ受験時の成績が1番だった子が初年度のクラス委員に選ばれるのですが、私は外部生の委員にいきなり選ばれました。
「私が一番だったのか・・」と思う一方、人前に立つことにすっかり萎縮していた私は不安でした。
ところが。
いざ前に立って他の委員を決める場になって、自分の口からスラスラ言葉が出てくるではありませんか!
今までは人の前に立つときはバカにされてるときでした。
でも、今はみんなが私の言葉に耳を傾け、呼びかけたら協力してくれる。
何より、全ての委員が決まって先生とみんなに拍手をもらったときに、体験したことのない達成感と自信が生まれたのです。
そして、人前で話すことが怖くなくなった私は、積極的に前に出ていけるようになりました。
コンプレックスを長所に切り替えることに成功したわけです。
そこから成績を高校卒業まで維持し、常に学年トップ10以内を守ったまま卒業しました。
大学は高校の推薦を蹴って、管理栄養士専攻へ
いわゆる「指定校推薦」というやつで、有名大学への道は選び放題でした。
学校としても成績優秀者を送り込みたいらしく、いろんな学部を推薦してくれましたが。
本っ当に興味のない学部ばかり!!
文系の学部では将来食っていけない(お嬢様学校なのにこのマインド)。たぶん、医療系で働ける国家資格があった方が食いっぱくれがない。
とはいえ、医者や薬剤師になるほどの頭もないし、6年制大学では親に負担がかかる。
そう思って見つけたのが「管理栄養士」。
これなら頭的にもいける(失礼だな!)し、4年制が最長。もともと食べることも好きなので続きそうだし、いろいろ役に立ちそうと思って進学を決めました。
高校生にして、なんと打算的な将来展望。
とはいえ、これが大当たりだったのです。今でもあのときの自分の決断を褒めてやりたい。天職です。
思ったより奥が深い栄養学にのめり込む
単にバランス良く何でも食べりゃいいってもんじゃない。そこには全て理屈と人体の不思議がある。
その奥深さにすっかりハマりました。
国家試験に合格するために必要な知識は莫大でしたが、もともと暗記や知識の整理は得意だったのでどんどん吸収できました。
結果、大学を主席で卒業し、全国の合格率が20%を切ることもあった国家試験も一発合格。
学生時代は順調そのもので幕を閉じました。
そう。学生時代は・・。
就職後、闇の時代が始まる
大学卒業後、給食委託会社に入社し、個人病院・老健などで調理業務から事務まで幅広く担当。
と書けば、新人なのにいろいろ任されてすごいな~となりそうですが。
要は、休みもなく朝から晩までこき使われていただけです。
典型的なブラック企業でした。シェアNO.1と言っても、それは安い月給で何も知らない新人を大量にとって使い倒しているから。
それは今になって分かることですが、根は真面目な私は修行だと思って黙々と一生懸命働きました。
配属された現場のチーフは管理栄養士の資格を持っておらず、資格持ちの私を目の敵にしていたのもきつかった。
献立の変更を教えてくれなかったり、仕事が遅いとみんなの前の罵られたりするのは日常茶飯事。
打算で選んだはずの仕事だったけど、就職する頃にはこの仕事が本当に好きで、キャリアアップが本当に楽しみだったのに。
「管理栄養士にならなければ、こんな思いはしなかったかもしれない」と思いつめました。
大学の恩師がくれた、栄養士人生最大の転機
大学卒業後も、教授たちと連絡を取り合っていた私。
そんな中で、都内の大学病院に欠員が出るから面接に行ってみないかと打診がありました。
今の職場にほとほと疲れ切っていた私は、その話に飛びつきました。
欠員を早く埋めたい先方は非常にせっかち。
なんと面接当日に入職が決まるという(笑)。
そこから最短の日付で退職して、いきなり東京ど真ん中の病院に飛び込んだというわけ。
転職先で自分らしさを取り戻していくが・・
最初は調理業務に専念し、基礎からもう一度学び直すつもりで必死に食らいつきました。
周りも可愛がってくれて、たくさんのことを教えてくれました。
また転職して1年くらいしたあたりから、患者さんへの栄養相談を兼務するようになり、仕事の幅を広げていったのです。
プライベートでも彼氏との結婚が決まり、順風満帆だったとき。
まさかの病気発覚。
25歳のとき、勤務中に下腹部の激痛で立てなくなり、調べてもらうと子宮内膜症でした。
今後妊娠できる確率は50%以下。治療の経過次第では不妊治療の先生を紹介すると主治医に言われました。
婚約したばかりの私には酷な話です。
結婚すれば当たり前に子どもができると思っていたのに、自分はそうじゃない。普通の体じゃないんだと思い知らされました。
婚約解消も視野に入れましたが、彼氏はそんなの気にしないと。治療をしてダメならずっと2人で暮らしていけばいいと言ってくれました。
全米が、いや、私が泣いた。
おかげで前向きになったものの、治療に使った薬の副作用がひどくて仕事もままならない。苦しい時期が続きました。
とはいえ、薬が合っていたのか患部の腫れは半年で完全に引き、痛みも皆無になりました。
その後彼氏は夫となり、29歳のとき第1子を妊娠・出産。3年後に第2子を妊娠・出産。
2人ともアレルギーも障害もなく、おかげさまですくすく成長しています。
私も当初は再発ありきで考えていましたが、今も全く症状はなく、完治として扱っています。
人生は加速していくが、また試練が訪れる
職場で初の産休・育休を取得した後に復帰。
そろそろ仕事にも箔をつけたいと思っていたので、さらに上級の糖尿病に関する専門資格を取得しました。
専門分野は糖尿病の療養指導ですが、当然その他の様々な疾患に対しても指導しています。
年間700~800件は担当している計算ですね。改めて考えるとすごい数。
「禁止しない栄養相談」をモットーに達成可能な目標を提示し、患者さん一人ひとりに合わせたオーダーメイドの指導を提供することを心がけています。
それがとても好評で、数値の改善がみられる患者さんも多くいらっしゃるので、これが自分のスタイルと思って磨きをかけていましたが。
「これだ!」と思ったら一直線。いのしし年生まれの性なのか、とにかく目標にまっしぐら。負けず嫌い。
それが裏目に出て、適応障害を発症してしまいます。
再び病気に。しかも厄介なやつ!!
どうにもならず、各方面と相談した上で休職することに。
休みに入って徹底的なネットリサーチをするも、「ママ×適応障害」「適応障害×再発」で思うような情報が得られず。
悩んでいる人は割と多いはずなのに、ママの声や病気になったその後が意外と書かれていないし、見つけられない。
ネットはこんなに普及しているのに、発信する人は意外と少ないのだろうか・・。
夫のブログ執筆をヒントに、自ら発信することに挑戦を決める
突然ですが、夫は以前に自己破産をしています。
そのことを題材に、数年前から金融に関するブログを展開しています。
休職に入ったときに、夫が何気なく「じゃあ、オレのブログの手伝いやってもらおうかな~」と言い出し、軽く引き受けたのがブログとの出会いです。
手伝いをしているうちに、1つ記事を書いてみました。
その時に「何を伝えたいか、どんな人の役に立つ情報を発信したいか」を考えながら書く中で、人に明確な意図を持って何かを伝えることの大切さを思い出したんです。
そこで夫と相談し、私のブログを新たに立ち上げて、私自身が発信する側に本格的に取り組むこととなりました。
このブログでやりたいこと
自分のキーワードは。
- 管理栄養士
- 2児の母、ワーママ(ワーキングマザー)
- 主婦
- 適応障害(休職・再発を経験)
- メンタルヘルス
一生懸命頑張る人ほど追い詰められやすい世の中。
特にお子さんを持つママ・パパは一生懸命に生きています。毎日闘っています。
でも、いつしか何と闘っているのか、何を守りたいのかもわからなくなるほど、脇目も振らずに走り続けていませんか?
私はそれで壊れてしまいました。そして、今ゆっくりとそのキズを癒やしています。
もっとゆるっと生きても大丈夫なんですよ。
ガチガチにクソ真面目だった私だからこそ言えることがたくさんあります。
このブログでは、患者さんに指導してきたノウハウを活かし、メンタルを追い詰めないざっくりライフスタイルを模索していきます。
そして、一人でも多くのママ・パパに豊かな気持ちでお子さんと向き合ってほしい。それが私の願いです。
そのヒントをこのブログから感じてもらえたら嬉しいです。
ざっくり生きても死にません!大丈夫!!